字を直翁、号を真隠、寧波人で、南宋高宗の紹興年間の進士で、宋高宗と宋孝宗の時期、高官を務め、老成且つ国事に参与し、勤勉かつ国民を愛し、才徳兼備な人材を採用し、また岳飛の冤罪をすすいだ。淳煕10年(1183)、官を辞め、故郷へ帰り、魏国公に封じられ、紹煕5年に、会稽郡王に封じられ、嘉定14年に、死後に越王に封じられた。史氏一族は「一族に三宰相、四世代に両王に封じられる」という光り輝く事業を開拓した。そして月湖は「湖に邸宅が並び、高く聳え立ち、屋根が赤く、瑠璃瓦が敷かれ、言うべきことが数え切れないほど多い」という見事な景色に形成されている。