竹洲

公開:2017-06-15 ビュー: 著者:天一阁月湖

       竹洲は湖中四洲の最も南に位置し、「数多くの青い竹を植え、翛然とする古人の風格」と称された。竹洲は、元は松島と称したが、南宋丞相史浩が真隠観を建てた後、「竹洲」に改名した。宋の時、楼公講堂、錦照堂、王氏昼錦堂、史氏真隠観、四明洞天、史少師家、竹洲三先生書院の跡だったが、明の時には陸康僖公祠、全氏別荘となった。北宋慶暦年間に王安石は「慶暦五先生」の楼郁らに県学で講義をするように頼み、それ以降、楼郁は松島で何年も講義をした。南宋の時、丞相史浩は竹州に真隠観と四明洞天を築き、宋高宗、宋孝宗、宋光宗は相次いで「鄮峰真隠」、「真隠」、「四明洞天」の名を授かった。清の光緒年間に知府宗源翰はここに講学の書院を作り、民国年間に鄞県県立女子中学校を設け、現在では寧波第二中学校の所在地となっている。