雪汀

公開:2017-06-15 ビュー: 著者:天一阁月湖

       雪汀は月湖西岸の芙蓉洲と煙嶼の間に位置し、「玉の刀で細かく切ったような、梁王宮殿の古池」と称された。宋の時、観音禅寺、四休堂、梅花壁などの跡だったが、明の時は広盈倉、周観察第、葭露閣となり、清の時には月湖書院となった。観音禅寺はもともと呉越王銭俶の弟である節度使銭億の邸宅だったが、宋の建隆年間(960―963)の時に観音禅寺となった。宋の建炎4年(1130)、金兵が城を攻めた時に寺が戦火で壊された。元になって、寺の旧跡に広盈倉を設けたが、後に廃棄した。清の初期、義田書院を建てた後に月湖書院に変わり、清の末期にはここに寧波師範学校を建て、後に浙江省第四師範学校となったそこは、嘗て寧波の革命の揺りかごの一つだった。現在、雪汀にはモスク、超然閣、翁文灝旧居などがある。