柳汀は湖中四洲の一つで、月湖で最初にできた景観である。北宋天禧5年(1021)、僧侶蘊臻は柳汀に「憧憧東」と「西双橋」、つまり今の陸殿橋と尚書橋を建てた。後に、郡守銭公輔は水路を浚い、湖の土手を築き、花木を植え、衆楽亭を建て、「新亭に皆楽しく 廊腰に刺繍を並べ、虹橋は微かに揺れて 左右に岸を挟む」という盛景とし、「市民の楽しむところになり、ちょうど春夏の時、男女が次から次へ、太鼓を叩き、歌を歌って、充実した毎日を過ごす」と称した。銭公輔は相槌を求めるように詩を作り、司馬光や王安石などより詩を得た。その40年後、柳汀は10洲の優れた場所となった。柳汀は昔、衆楽亭、逸老堂、涵虚館、賀秘監祠、四明駅、四宜楼、水雲亭、閩国公祠、関帝廟などの古跡があったが、今は賀秘監祠、仏教居士林、関帝廟、瀛州接武坊などの建物があり、月湖南北の交通要路となっている。