花嶼は湖中四島のなかで最も大きい島で、十州のトップに数えられ、「蜂蝶々まで酔うほど香りがし、紫赤の濃いところで詩を吟じる」と称された。昔は、湖心寺、十州閣、澄輝閣、滄州閣、袁忠臣祠があったが、明の時には張氏月湖精舎、宝綸堂となり、清の時には月湖庵、袁家となった。花嶼は、東は月島と繋ぎ、西は煙嶼に接し、その間に2本の橋が架かり、それぞれを湖心東橋と湖心西橋と言い、北宋元豊年間に建てられた。現存している東橋は有名な月湖橋で、清の乾隆年間に修築された。北宋の時、花嶼に仏教古刹である湖心寺が建てられた。「明州四大律寺」の一つで、明の兵部尚書張時徹は湖心寺を月湖精舎と宝綸堂に変えた。月湖庵は宝綸堂の遺跡で、現在は日本の水墨画家雪舟等楊の作品を陳列している。清の建物である袁家は呉冠中の名画『双燕』の原型で、現在は寧波茶文化博物館となっている。