1923年~1925年の間に、秦氏一族は祖先を祭るために建てられ、当時銀貨を20数万かけた。祠堂の土地面積は2.6ムーで、建築面積は2000余り㎡で、木彫り、レンガの彫刻、石の彫刻、金箔、写しなどの民間工芸を融合して、寧波民家の建築芸術の集大成である。秦氏支祠の舞台は彫刻、金飾り、漆を一体にして、きらびやかで、美しく輝いている。その天井は1000枚以上の彫刻された枘穴で穹隆形の澡井に繋ぎ合わせ、16層の大きさの一様でない如意斗拱は螺旋状を呈して、一階一階で上がり、天井の頂上までお互いにうまく連結して、天井
清の咸豊2年(1852)の状元である寧波人章鋆のお宅のホールで、高くて広々とするもので、寧波の最高建物の一つで、よそからここに移ってきたものだ。章鋆、字は釆南で、翰林院修選に授かり、かつて国子監祭酒という官職を担当し、四川、広西の郷入試をつかさどり、福建、広東の学校を監督し、好評を博した。