清の建物で、区指定文化財である。北側にあり南に向いて、中に弥勒殿、大雄宝殿、三聖殿、地蔵殿、円通殿、念仏6仏殿及び蔵経楼、両側の廂の間などがある。南宋時期に、涵虚館となり、元代の初めに、祖先の祠堂となり、後旅館に変わった。清の乾隆年間に玄 壇殿を建てて、現存の建築は清の道光15年(1835)に再建し、1934年に仏教居士林となり、1988年に修復して、再び元の規模に戻した。
清の建物、区指定文化財で、明の崇禎3年(1630)に建てられ、清の康煕年間(1662―1722)に再建された。廟門、舞台、正殿、後殿、東西廂の間から構成して、雄壮且つ偉大で、廟内に武聖関公を祭られ、つまり三国時代の蜀国将軍の関羽で、後代の人に「文の聖人」と尊称される孔夫子と同じように「武聖関公」と称される。
清の建物で、区指定文化財で、唐の詩人の賀知章を紀念するために建てた。宋の紹興14年(1144)に、郡守莫将は「逸老堂」を「賀知章と李白を祭る」場所に変えた。後何度も修築や廃止を経ち、元の至正19年(1359)になって、初めて専ら祭る祠になり、明の洪武年間(1368―1398)に、祠をここに移り、現存の建物は清の同治4年(1865)に修復されたものである。
民国の建物、市指定文化財である。主な建築は北にあり北に向いて、台門、玄関、本屋、本屋の向い部屋、廂の間と後の建物から構成している。元は民国時期、寧波教育界に名高い楊菊庭の住宅であった。楊菊庭(1888―1969)、名は貽誠、字は菊庭、別号は端虚で、50数年教鞭を執り、有名な文学者の巴人も書道家の沙孟海も彼の早期の学生だ。数学三角を教えるとき、業績があったため、「楊三角」と称され、「石(徳濂)幾何」、「蔡(曽祜)代数」とともに寧波教壇に称賛されている。寧波市教育局局長、鄞県県立女子中学校校長、鄞県文献委員会